私自身のこと~哲学とのかかわり

私は1981年北海道札幌市に生まれました。2歳上の姉と4歳下の妹がいます。

小さな頃は、しょっちゅう風邪をひいていたり、アトピーやアレルギー、片頭痛持ちなど病院や保健室によくお世話になって、姉妹の中では割と身体が弱い方でした。
(特に遠足や発表会などイベント事となると熱を出してました…。)

かといって、大人しく静かな子だった訳でもなく、気も強かったし、活発に運動するのも好きでした。
家の前でローラースケートをしたり(時代を感じる)、アスレチック施設にテンションがあがったり。

そんな子どもでしたが、
「花は種から育って咲き、そこからまた種ができて花になるけれど、一番最初の種はどこから来たんだろう?」(哲学でいう「鶏が先か、卵が先か」問題)
とか
「自分という感覚の不思議さ」(自我の問題)
についてなどをよく考えていました。
世界のいろいろなことが不思議でたまらなかった、という感じでしょうか。

この頃から今も考えていることはあまり変わりがないなと思います。
こうして考えることが当たり前のこととして育ち、生きてきました。

私が中学生の頃には『ソフィーの世界』という哲学の本が流行しました。小学生の時は本を読むのが好きでしたが、中学に入ると読書量が減っていたので、このボリュームはなかなか読むのが大変だった記憶があります。
それでもファンタジックなお話に引き込まれ、哲学というのは面白そうだなと心の片隅に残りました。

高校の時に倫理の授業を受けて、正直なところつまらない授業をする先生でしたが、内容自体は大変興味深く、もっと勉強したいと思いました。
確かこの辺りから、自分が日頃考えていることは“哲学”というものなのかもしれないと思い始めました。

そうして大学では哲学を先攻することになったのです。とは言っても元々が、哲学を学びたいという入り方ではなく、自分のやっていることは“哲学”なんじゃあなかろうか?!という軽い疑念を抱きながらなので、いまだにそうなのか?!という気持ちはあります。
いつか誰かにお前さんのは哲学じゃないよ、と言われるかもしれませんね。

でも学科の教授に「哲学って何なのですかねー?」なんて聞いてみたところ、「何なんだろうねー」なんて答えが返ってきたことがあり、安心し、ここに来てよかったと思った記憶があります。

大学卒業後は、小さな企画制作会社に4年、もっと小さなコンサル会社に1年半つとめました。
社会人になってからも、どんな物事に対しても本質は何か、そもそもどういうことか、と考える癖がついていたのが役立ったと思っています。

だからこそ、今目の前にいる娘を育てるにあたっても哲学的な視点を持ち、本質を追求することで、いろいろな人のいろいろな意見にも惑わされずにブレずにいられるのではないかと思うのです。(もちろんそんな簡単にはいかず、悩みながら…なのですが。)

子育てに関する迷信めいた説や神話がたくさんあるのはわかっていましたが、実際に出産し、子どもを連れていると、実にいろんな人がいろんなことを言ってきます。
都会では知らない人に話しかけられることってそんなにないですよね?でも、子どもを連れていると、そのハードルが下がるようで、割と気楽に話しかけてくれる訳です。
うれしいことや気が紛れることもあるのですが、やっぱり嫌な気持ちになることもあったりします。

それでも本質をつかんで、心のどこかに留めておけば、大丈夫!と思えるんじゃないか。そう思っています。
同じように子育てをしている方にも大丈夫だよ~って伝えられたらいいなと思います。